~家族介護~ 最幸のコンビ結成☆その名は『チャンプルー』

家族介護

2016年春。母と私と相方の
3人生活が始まった。
母が73歳、私が45歳の時。

70過ぎた母の老いの
スピードが速くなっている
のを見て感じて、その先に
起こりうること『家族介護』
を考えていた時に、私の仕事が
一区切りつけられる
タイミングが突然訪れた。
この時逃がすと同居に
踏み切れないと考えた時
だった。

今日は、やんばる育ちの母と
熊本出身の相方と私の3人生活
の始まりを書いていきましょうね。

目次

『無理しないで戻ってきたら?』

私とお母さんは、仲は良い方だと
思う。私が、県外で旅をするように
生活始めてからは、毎年季節を変えて
遊びによんで一緒に旅行をしていた。
札幌の時は、とても気に入って1ヶ月
以上いたかな。帰りは、切望していた
青函トンネル通って上野まで行くを
一人で行けたね。今はもうない、
ブルートレイン。長くなるから、
この母の一人鉄道旅は別の機会に
書きます。

私が那覇桜坂に拠点を置き、
ゲストハウスを始めてからは、
那覇と浦添での距離でほどよい
母子関係ができてていた。
毎月、ランチに連れていき
おしゃべりと買い物を楽しんだ。

だけど、東日本大震災の後の不安、
当時の東京沖縄の別居婚がうまく
いかなくなり始めたときに

『無理しないで戻ってきたら?』

と同居を口にするようになった。
父が他界したのが2005年。
それから一人で寂しい思いを
させてきた。しかし、4人兄弟で
外にでた私が、出戻って母の
面倒をみるのは単純なことでは
ない。

『戻ってきたらいいさ。なんで
だめね?』

たぶん、私が落ちているのに
気づいて心配してくれていた
んだと思う。会うたびに
口にするようになってた。
パートナーと離縁してからは、
勝手に戻ることは決まったかの
ように話を周りにしていた。

当時、親の介護をしている先輩
の話を聞いたり、介護について
のいろんな本を読んだ。
私の兄弟の状況。
家族のこれまでの事。
先のことも考えて、ゲストハウスの
委託運営先が決まったこと色々重
なった時に、決めた親との同居だった。

相方と私 そして 時々お母さん

先の『家族介護』を円滑にする為に
同居を決断した時に、相方は優しく

『いいよ』

と承諾してくれた。
そして、まだ未入籍だった
相方を家族に紹介して同居する条件が、

『相方/ヒロシ君も一緒』

私と母が同居してほしい、兄弟は、
難なく承諾してくれた。

長年、一人暮らしで自由にしてきた
母にとって、娘との同居は嬉しいが

イニシアティブを持つのは私!

と毎日忙しくしていた。

母は、声が大きく言い方が良くない。
優しく口数少ない相方に、何を
言い出すか予想がつかないだけで
なく、気づかないところでストレス
を抱えさせないか、ヤキモキして
二人だけにはしないように心がけて
いた。

私が、相方と呼んで紹介するのは、
毎日が漫才をして過ごしている
ような楽しさだから。
ボケは相方(ヒロシ君)つっこみは、
私である夫婦漫才♪

そんな二人の会話に、母は割って
入ってくる。これがね、全然関係
ない話だろうがまったくのおかまい
なし。
だから、もちろん?無視して仲間に
入れないときもあったけど、優しい
相方はニコニコしながら聞いて、
母へ愛の手を入れる。
そうすると、母は調子にのって
脈略のない事を喋る。イライラする
こともあった。

ある日、TVで四千頭身の「3人漫才」
を見たとき、これだ!

お母さんとヒロシ君と私って
トリオじゃん(笑)

都築と後藤が漫才をしているとき、
石橋は話にまったく介入してこない。
真ん中の後藤を挟んでふたり
の間には、まったく二人を気にしない
空間が存在している。
唯一、後藤だけが二人の間を
自由に行き来しツッコんでいく姿。

その漫才を一緒に見ていた相方に、

これじゃん(笑) 私たち(3人)って
洋さんとヒロシ君 そして 時々お母さん
のトリオだね。

相方は、その時ただうなずいた。
母は、四千頭身の「3人漫才」
みてニコニコ笑っていた。

トリオ『チャンプルー』

の誕生した瞬間だった(笑)
それからは、母との会話にヤキモキする
ことは激減した。

お母さん、お腹いっぱいです。

私の母は、料理が大好き。
ここは社員食堂か?
と思えるほどの大きな寸胴鍋や
中華鍋、蒸し器まであった。
母がつくる冬のてびちおでんは、
別格の美味しさ。
豚足を毛嫌いするナイチャー友達
でも食べきれなかった人は
いないぐらいの絶品。

それはおいといて、子供4人、6人家族
の胃袋を支えてきた母の作る量は、
トリオには多すぎる。まして、
小食の私にとっては、毎日この量
は決して慣れるものではなかった。

なんで、3人なのに沖縄そばの袋
3つも買ってくるんだよ!
本気ですかお母さん??

なんで、3人なのにカレーを
こんなに作るの?
これじゃ、3日はカレーだよ
本気ですかお母さん??

という感じの毎日(笑)

なんども何度も

お母さん、お腹いっぱいです。
私たちそんなに量いらないし
もう6人家族じゃないんだから、
お願いだから半分ぐらいにして!!

と頼んでもそうはできないのが
昔の人。

もちろん、感謝はしているし有難い。
けど、美味しい料理を捨てるのは
もったいないと無理して食べて
お腹痛くなっている私を見て相方は、

僕が食べるから、無理しないで

と言ってくれた。

いつの日か、母の料理をする熱意と
台所に立つ腰痛の痛みが逆転して、
次第に料理ができなくなった時まで

美味しかったです。
ごちそうさまです。

と言って感謝の気持ちで食べ続け
てくれた。

優しい相方に感謝。
頑張る母親に感謝。

最幸の3人漫才。
ありがとう!

お母さんのてびちおでんが
また食べたいよ。
お母さんが作れなくなる日が
くるなんて思ってなかった。

自分でつくればいいさ

なんて意地悪言うなら
作り方教えてください。


今後掲載予定記事
『母サチ子の人生最初で最後の鉄道ひとり旅』

洋さん

最後までお読みいただきありがとうございました。
このカテゴリーでは、家族介護について思いつくままに書いて、
思考の整理整頓しながらストレス発散します(笑)
出来事に嘘はありませんが、そのまま書くと辛いだけなので、
その時は苛ついてしまっても、母へありがとうの気持ちと私の家族も読まれる皆様も笑顔になれるように書いています。考え方を変えて感謝の気持ちをもつことで、幸福度も自ずとアップし、ポジティブな思考で過ごす行雲流水の日々です。

漫才トリオ『チャンプルー』のメンバー紹介

母:砂川サチ子
昭和14年。宜名真生まれやんばる育ち。
身長165cmもあった。
10代で追い越せなかった悔しさがあったけど、
今では丸く縮み追い越せている。
料理大好き。スポーツもできて、手先も器用だった。
お友達はたくさんいて、ユーモアあると言われる
けど、娘にとってはウィットすぎて笑えない。


相方(夫):ヒロシ君熊本出身。
優しくてのんびり屋さん。
他秘密にしてとのこと。


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